「年相応」が一生わからない。
私は現在アラサーだが、もう何年も前から精神年齢が19歳で止まっている。
なぜ19歳なのかは私にもよくわからない。が、間違いなく私の精神は19歳なのだ。もう18ではない、だがまだ20でもない。今は18歳で成人だが、私が19だった時は20歳で成人だったので、私の精神はまだ成人すらできていないということになる。
いまだに役所で小難しい手続きができたり、栄養バランスの取れた食事が作れたりすると「えー私すごーい大人みたーい!」とか思ってしまう。今日もメルカリに不要物を出品する際本人確認を求められ、マイナンバーカードのアップロードに無事成功して悦に入っていた(商品は売れてない)。
もしかしたらちょっとヤバいのかもしれない。
周りの人たちに、自分自身の精神年齢は何歳だと思うか聞いてみたことがある。
中学、高校からの友人はそれぞれ「21歳」「23歳」と答えた。実年齢よりだいぶ若いのはみんな同じなのだろうか。
夫に聞いてみたところ「27歳」と答えたので私は驚いた。精神年齢が25を越えられることがあるのか。実年齢よりは若いにしろ、もしかしたら夫はすごく成熟した人間なのかもしれない。感嘆を禁じ得ない。
親はさすがに20代ってことないだろと思い母にも聞いてみた。「考えたことないけど、50代になってからようやく精神年齢が追いついてきた感じがする」と言っていた。50代半ばでもこれなのだ。アラサーが19歳なのも仕方がないだろう。
しかしなぜ「19歳」なのだろう。他にも数名聞いてみたが、まだ高校生の人や中2の人がいる中、「19歳」の人はいなかった。なんだ、この中途半端なのに他の数字では代わりがきかない、この感じは。
思うに、19歳が本当に中途半端な年齢だったからだろう。
私は大学進学のタイミングで親元を離れ、東京で一人暮らしを始めた。生活の全ては自分次第。誰かが家で待っていてくれることも、誰かが帰ってくることもない。人生初の完全に一人きりの時間を私は謳歌しまくっていた。一人でいることが苦にならない性格なのだ。
高校生の時とは生活の何もかもが激変し、大人の仲間入りをしたような気にはなったものの、所詮は未成年。22時以降はバイトできなかったし、脱毛を契約する時は親の同意を求められた。でももう高校生ではないし、実際に一人で生活をしている。
このアンバランスさがもっとも色濃くあったのが「19歳」だったのだ。あと1年経てば、20歳にさえなってしまえば完全な自由が手に入ると思い、なんとも歯がゆかったのを覚えている。
この歯がゆい時間の中に、私の精神年齢は今もとどまっているのだ。もう本当に立派な大人なのだから、誰に相談しなくてもなんだって契約できるし、どんな仕事だってしていい。はずなのだが、それをしてはいけないような気が今もしている。
私はこの先一生、「年相応」にはなれない気がする。常に実年齢が先を行き、精神年齢との差は開くばかりだろう。今の母ほどの歳になっても、私の精神は一人では生きられなかった19歳のままなのかもしれない。
聞きかじった話だが、人間は死んで天国に行くと、その人が生きていた間で一番輝いていた頃の姿になるそうだ。
もし私が死んで天国に行けたら、その時はきっと19歳の姿になるのだろう。ちょっとだけ楽しみだ。